神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2013年12月

富田八坂神社(栃木県栃木市)5

6f00e878.jpg

栃木県栃木市に鎮座する「富田八坂神社」に参拝してきました。

栃木市の南部、旧大平町に神社はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「大平下駅」、東武日光線「新大平下駅」になります。
両駅から徒歩では5分位かもしれません。

神社専用駐車場は、見当たりませんでした。

少し離れた所に「金剛峯山 如意輪寺(下野三十三観音霊場 二十五番札所)」がありました。


こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「八坂神社神輿新調記念碑
往昔、千種の里と呼ばれたこの地に、皆川氏の一族である富田氏の居城富田城(富田中根城)が築かれた永享年間(1429〜40)、城内に牛頭天王として祀られたのが、素盞鳴命を主祭神とあおぐ当八坂神社の始まりと伝えられている。
その後、江戸時代の寛永十七年(1640)三月二十二日に牛頭天王は現在の地に移創された。
正保年間(1644〜47)、富田の地は日光例幣使街道が整備されると、奉幣使や日光社参の諸大名、秩父火消同心やその他の諸役人、一般人の往来が頻繁となり、その宿場町として繁栄をきわめたが、享保八年(1723)十一月、宿内に恐ろしい疫病が流行した。
このため氏子たちは一致してその撲滅のため協力しあい、神輿を新調して宿内を巡行これを追散せしめたのであった。
時代は下って明治元年(1868)、牛頭天王は八坂神社と改称し、同二十六年(1893)に富田全域の総鎮守となり今日に至ったが、その間由緒ある神輿は、永い年月を経たことから、老朽化が著しい状況を呈するようになった。
そこで、このたびこれを新調するため、氏子の皆さまの浄財をご芳志いただき、ここにめでたく新しい神輿が完成と相い成ったのである。
以上の由来と、この偉業を後世に末永く伝えるとともに、これを記念してこの碑を建立するものである。
平成六年七月吉日」


こちらの神社は、日光例幣使街道富田宿の総鎮守になる神社になります。

道路沿いに鳥居がありました。
42aa8352.jpg

社号碑になります。
bad25c01.jpg

境内の左側には、手水舎がありました。
2cde484b.jpg

こちらは、神楽殿です。
b1543add.jpg

どんな神楽が舞われるのでしょうか?

こちらが社殿になります。
fefa7434.jpg

小ぢんまりしてます。

本殿は覆われていて、見ることは出来ませんでした。続きを読む

渡辺華山の妹 茂登の墓(群馬県桐生市)3

渡辺華山という人がいた。この人は、江戸時代後期に生きた三河国田原藩の武士であり画家であった。
生没年月日は、寛政5年9月16日(1793年10月20日)〜 天保12年10月11日(1841年11月23日)になる。
鳥居耀蔵が主導して蘭学者を処罰した「蛮社の獄」で自身は蟄居、後に自害をした。

この渡辺華山には「茂登」という妹がいた。
その茂登は、群馬県桐生市にある名士 岩本家 へ嫁いだ。
その妹のお墓がある。
岩本家の菩提寺「諏訪山観音院(所在地:群馬県桐生市東町二丁目13‐18 宗派:真言宗豊山派 本尊:聖観音 札所等:関東八十八ヶ所 十番札所)」のそばだ。
観音院の駐車場の一角にあるといった感じだ。

駐車場の所には、石標がありました。
0b0f3238.jpg

平成16年にできたばかりの石標のようだ。
見逃しそうな感じです。

この日限り地蔵観音院の駐車場は、日限り地蔵の縁日(毎月24日)以外は閉鎖されているようだ。

自動車で来られる方は、観音院の向かいにある駐車場を利用してください。

こちらが入り口になる。
df4127b4.jpg

門があるので、入ってはいけなさそうなので、入りませんでした。

外から覗き込むとこんな感じです。
2cbeed67.jpg

中央辺りに茂登のお墓がありました。
ひっそりとしています。
茂登の嫁ぎ先にも渡辺華山は訪れていたそうです。

この後、諏訪山観音院や諏訪機神社にも参拝いたしました。

大間々貴船神社(群馬県みどり市)5

e17c3fc3.jpg

群馬県みどり市に鎮座する「大間々貴船神社」に参拝してきました。

みどり市の中部、旧大間々町に神社はありました。

最寄り駅は、わたらせ渓谷鉄道「上神梅駅」になります。
徒歩では、15分位はかかりそうです。

駐車場は、鳥居前にありました。
自動車は、6〜7台位は停められそうです。
他にも第二駐車場もあり、停められます。


こちらの神社の由緒は、以下の通りです。
「山田郡大間々町の町並みを過ぎて、足尾街道の対岸を渡良瀬川にそって登ると高津戸峡の峡尾にあたる古生層の断がいの上に貴船神社が鎮座している。
その境内に立つと、渡良瀬の渓流が崖足をかみ、その前方の山間には民家が散在し、その奥に赤城山の雄姿を仰ぐことができ、展望がすばらしい風光明美な所にある。
貴船神社の創立は明治三十六年十二月の火災で社記を焼失して不詳であるが、平安時代の天暦十年(956年)に、東国がひどい干ばつにおそわれ、草木枯死の悲惨な状態となった時に、山城国愛宕郡鞍馬村(現京都市左京区鞍馬貴船町)に鎮座する貴船神社の祭神が伊邪那岐命の御子で、クラオカミノカミとともに甘雨を降らし霖雨を止め、国土を永遠に湿潤にして草木の生育を助けるタカオカミノカミであったので、その分霊を奉祀して、降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端大間々扇状地の奥、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは江戸時代の寛文八年(1668年)といわれている。
御祭神タカオカミノオオカミのオカミは龍神で、水を司る神であり常に雨を掌らせられ、国土を永遠に湿潤にして草木をたすけ、人々の生活を豊かにし、大山祇大神は山を掌らせられ、大穴牟遅大神は国土経営の功績が絶大で、国土を守護し、人々の病めるを治し、不幸を救う御霊徳の高い祭神である。
ですから貴船神社はすべての人々に福徳与え、大神を崇敬し、その御神徳に浴すことは、やがて衣食住の安全、即ち生活の保証を得ることになり、開運福徳の守護神とし、農工業の神、商売繁盛の神、交通安全の守護神として篤く崇敬されている。
御霊験の明らかなことは、祭日、平日とを問わず年々崇敬者、参詣者の増加していることが如実に物語っている。
とくに初詣は県内外より多くの参詣者が見える。」


写真を撮ったのは平成25年9月14日で御朱印を頂いた日とは違います。

一の鳥居です。
7e54c945.jpg

左側には手水舎がありました。
b8886f0a.jpg

参堂を進んでいきます。
石段を上がりますので、足元にはお気をつけ下さい。

こちらは、境内社の総社になります。
1225913e.jpg

右側には、日枝神社・菅原神社が鎮座しています。
c1be4713.jpg

左側には稲荷神社が鎮座しています。
6d30bcc9.jpg

参道を進みます。
b1f4b6e1.jpg

まだまだ境内には着きません。

上がりきると、狛犬が出迎えます。
a1fdc21e.jpg

85fe574d.jpg

厳つい顔をしています。

左側には、御神水を頂ける所がありました。
8cb0f03b.jpg

4d154624.jpg


こちらが社殿になります。
878bcc55.jpg

たかおかみのおおかみを中心に祀っています。続きを読む

龍蓋山 威徳院 佛母寺(埼玉県本庄市)5

269dc3d7.jpg

埼玉県本庄市にある「龍蓋山 威徳院 佛母寺」に参拝してきました。
高野山真言宗に属し、準別格本山になるお寺になります。

本庄市の西部、国道407号線沿いにお寺はありました。

駐車場は、お寺の東側にありました。
自動車は、数十台位は停められそうです。

最寄り駅は、JR高崎線「本庄駅」になります。
徒歩では、約20分位かかりそうです。

自動車で行かれる方は、国道407号線の「千代田三丁目」の交差点から東(本庄市内方面)へ曲がり、本庄金鑚神社を過ぎると左側に「高尾山」という寺標がありますので、そこを左側に曲がり、少し行くと正面に佛母寺ががあります。
少々狭い道を行きますので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。


お寺の由緒は以下の通りです(由緒書きより転載)。
「旧の威徳院を再興したものであります。
威徳院は金鑚山白蓮寺と号し、中性の高野山聖僧威徳坊玄正が天授年間(1375〜1381)に開創したといわれています。
再度の火災や明治新政府の神仏分離令により一時廃寺となるが、その後、檀信徒が復興に努力をし明治二十年に本堂・庫裡を再興しました。
再興当時、御本尊が准胝佛母観世音菩薩であったため、佛母寺と改称。
昭和二十八年本山より「由緒に因り特に準別格本山に昇格す」との証を授与されました。
三十一年には鐘楼堂が再建され、篆額は故吉田茂元首相が書いています。
境内には檀家寺としての本堂とは別に、大正十五年大本山高尾山薬王院より飯縄大権現を勧請し「本庄高尾山」を建立し、境内を拡張。
近郷子弟のの情操育成のため、小動物園をつくるなどして当地方の名所となりました。
毎年1月2日には境内には「だるま市」がたち、景気のよい掛け声が飛び交い、大変な人出で賑わいます。」


お隣の「本庄金鑚神社」の別当寺だったお寺なわけです。


こちらが山門になります。
de01bdd8.jpg

とても質素な感じです。

その隣には、「准胝佛母観世音菩薩」が本尊である旨の標が建ってました。
c339c97d.jpg

珍しいです。

境内には、鐘楼がありました。
c98e676b.jpg

境内といっても、東側になり、端っこにあるといった感じです。
どうしてこんなところに・・・

こちらが本堂です。
b8d70455.jpg

本尊である「准胝佛母観世音菩薩」が祀られています。
この観音様が祀られているのは、とても珍しいです。
しかもご本尊とは

本堂前には、修行大師様がいらっしゃいました。
c09c6640.jpg

やはり真言宗のお寺です。
今もなお修行をしているわけです。

武州本庄七福神の銭洗弁天様がいらっしゃいました。
9ae62326.jpg

とても可愛らしい弁天様です。
こちらでお金を洗い、御守り袋に入れて持つと御利益があるそうです。
お守り袋は寺務所で500円いただけます。続きを読む

慈丸山 心応院 聖眼寺(群馬県桐生市)5

280b9329.jpg

群馬県桐生市にある「慈丸山 心応院 聖眼寺」に参拝してきました。
高野山真言宗に属するお寺になります。

群馬県桐生市の中心部から若干西へ行った元宿浄水場の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」、上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。
桐生駅からは徒歩で15分位はかかりそうです。

駐車場は、境内の北側にあります。
自動車は、数台は停められそうです。
路駐も出来そうですが、気を付けてください。


こちらのお寺は、大永年間(1521〜1527)に創建されたと伝わります。
桐生氏との関わりが強く、寺領を80石を拝領した。
しかし、元亀二年(1571)に桐生氏と由良氏との戦いで桐生氏が敗北すると、その兵火で聖眼寺も焼失してしまう。
慶長十三年(1608)に新居家先祖建立の観音堂を再建し、千手観音を安置した。
しかし、正保年間(1644〜1648)に火災で焼失、過去帳や書籍まで焼失してしまった。
その後紆余曲折があり、現在に至るそうです。


こちらが入口になります。
820e9715.jpg

特に山門はありませんでした。

入口の右側には庚申塔がありました。
17c1ecfd.jpg

4e6c8557.jpg

往年の信仰が偲ばれます。

境内に入ります。
786fbb3e.jpg

参道を進みます。

境内の左側には「薬師堂」がありました。
66af3c14.jpg

もちろん薬師如来が祀られています。
意外と大きなお堂です。
薬師如来のお顔が拝めませんでした。

境内の右側には、木々がありました。
efc810ec.jpg

紅葉でしょうか。
なかなか良いです。

こちらは、遍路大師です。
a6f237a2.jpg

今もなお修行をしています。

(´人`)

遍路大師の側には宝篋印塔がありました。
dfd9c123.jpg

いつ頃のものなのでしょうか?
古そうです。

こちらが本堂になります。
170f1b7d.jpg

大日如来が祀られています。
新上州三十三観音霊場を巡拝している折りに本堂内の左側にある千手観音が祀られている間に上げていただき、お参りさせつ頂けました。

こちらが本堂に掲げられていた寺号額です。
a8422325.jpg

なかなか達筆です。続きを読む
記事検索
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
カテゴリ別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログトピックス
J-CASTニュース
  • ライブドアブログ