まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2013年09月

八幡山 法楽寺(群馬県桐生市)5

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群馬県桐生市にある「八幡山 法楽寺」に参拝してきました。
真言宗豊山派に属するお寺になります。

群馬県桐生市の南部、太田市や栃木県足利市にも近いです。
目印は、国道50号線沿いにある「賀茂神社前」という交差点になります。
お隣は、桐生賀茂神社になります。

最寄り駅は、JR両毛線「小俣駅」、もしくは東武伊勢崎線「新桐生駅」になります。
しかし、両駅からもかなり遠いですので、徒歩では大変かと思われます。

駐車場は、境内と境内の東側にありました。
自動車は、合わせて10台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。(『上毛新聞社刊 群馬のお寺 真言宗』より抜粋)
「寺伝では、天喜五年(1057)八幡太郎義家は朝廷の命に隋わぬ奥州の安部貞任と宗任を討つため、当寺に立ち寄り戦勝祈願をした。
康平元年(1058)三月、戦勝のお礼のため賀茂神社と当寺の前に舞台を造営して、法楽の舞を奏上した。
後にお供の周東刑部左衛門が当地に残り、八幡太郎義家の命によって戦没者の慰霊のため、当寺を立て替えて山号を八幡太郎にちなみ八幡山とし、寺号は法楽の舞を奏上したことから法楽寺と名付けた。」


山田郡史によると足利市小俣の鶏足寺の末寺になるそうです。

お寺までは細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけてください。

こちらが山門になります。
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質素な門です。
禅宗系のお寺ではないので、仁王像でも配して頂ければよいのですが。

山門前の両側には、庚申塔が複数基ありました。
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その中には「納経所 別當法楽寺」と彫られた石碑がありました。
これは、こちらのお寺が東上州三十三観音霊場や上州新四国八十八ヶ所の札所になっているからではなく、お隣の「桐生賀茂神社」が上野國式内社で「上野國十二社参り」が行われていたため、その別当である法楽寺が納経所であるといった意味になります。
碑の左側にはその旨が刻まれています。
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「當國十二社随一 加茂神社」と刻まれています。

山門を入ると、右側には「賓頭盧尊者」がいらっしゃいました。
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「おびんずるさま」や「なで仏」と言われており、病気や怪我の場所と同じところを撫でてお詣りすると、霊験があると信じられています。

境内の左側には、大東亜戦争(太平洋戦争)で亡くなった方の慰霊碑がありました。
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(´人`)

六地蔵がいらっしゃいました。
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(´人`)続きを読む

今井神社(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市にある「今井神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

伊勢崎市の北部、旧赤堀町に鎮座していました。

駐車場は、見当たりませんでした。
境内の左側にある区民センター(公民館?)の前に停められそうです。


こちらの神社の由緒は、以下の通りです。(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著 伊勢崎佐波の神社誌より)
「当社はもと近戸神社と称され、藤原秀郷五世の孫、二郎泰綱四世の孫、教綱が領主の時に社殿を造営し、藤原氏滅亡後に氏子持ちとなったと伝えられている。
明治十年に村社に列せられ、同四十一年に近傍の七社を合祀すると共に、今井神社と改称した。」


こちらの神社は、先日紹介した「如意山宝珠寺」から歩いて数分の所にありました。

こちらが鳥居になります。
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こちらが社号標になります。
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境内に入ると、正面には社殿がありました。
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ずいぶん古そうな感じもしますが・・・
屋根だけは葺き替え他のでしょうか?

こちらの神社は、藤原秀郷関係のようです。
近くの宝珠寺にも供養塔がありますし。

こちらは、南参道になります。
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木々がうっそうとしており、薄暗い感じがします。

境内の右側には、公民館がありました。
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神社の境内には、ときたま公民館があります。
こちらの神社は、残念ながら神職の方は常駐はしていません。続きを読む

赤堀城跡(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市にある「赤堀城跡」に行ってきました。
伊勢崎市の北部、旧赤堀町にあります。

こちらの城跡は、少々わかりづらい所にあります。

自動車で行く場合は、駐車場に困ります。
田原藤太藤原秀郷の宝塔がある「如意山宝珠寺」の駐車場に停めさせていただきました。
歩いて5分位です。

道路沿いの標識になります。
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木々に邪魔されわかりづらいかもしれません。

こちらが赤堀城跡までの道になります。
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なんとも・・・
進んでいって良いのでしょうか?

進んでいくと、開けました。
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こちらが赤堀城跡になるようです。
今は、畑ですね。
個人所有かな?
居て大丈夫なのだろうか

進んでいくと、赤堀城跡を示す木の標がありました。
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その隣には、案内板がありました。
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城址にある案内板より。
「赤堀城は、別名今井城とも言われ、粕川とその支流の鏑木川との自然地形を利用した箇所に築かれ、東西約170m、南北約350mの範囲を占める。
一辺約80mの本丸を中心とした部分には、土居、堀、戸口があり、他にも、二ノ丸、城域の外側には一小郭があったと考えられ、赤城山南麓に特徴的な本丸を囲郭式とした並郭城である。
赤堀城は藤原秀郷の末裔とされる赤堀氏の居城で、赤堀下野守親綱の時に由良氏の幕下となり、その子影秀までは赤堀城に在城した。
その後、後北条氏幕下の小菅氏が在城したが、天正十八年後北条氏滅亡と共に赤堀城も廃城となった。
赤堀城跡は赤堀氏の居城とされているが、赤堀氏の活動の記録は少なく、不明な点が多い。
そのため、赤堀城跡は、当時の赤堀氏の動向を知る重要な文化財である。
なお、指定については、県道前橋赤堀線の北に位置する本丸を中心に定めたものである。」


案内板のお隣には、宝塔や庚申塔等がありました。
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何か謂れがあるのでしょうか?
案内板には、説明がありません。
田原藤太の宝塔は、近くの宝珠寺にあるし・・・

如意山 宝珠寺(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市にある「如意山 宝珠寺」に参拝してきました。
曹洞宗に属するお寺になります。

伊勢崎市の北部、旧赤堀町にお寺はありました。
国道50号線の「西久保町」という交差点から北西方向に延びる県道前橋西久保線を800m程行ったところに道沿いにあり、看板が出ていますのでわかりやすいかもしれません。
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最寄り駅は、JR両毛線「国定駅」になります。
徒歩では、かなり無理そうな感じがします。

駐車場は、道沿いにありました。
自動車は、20台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は、以下の通りです。(山門を入り、左側の掲示板にあった由緒書きによる)
「天慶二(939)年田原藤太藤原秀郷公はこの地に、朝廷にそむいた平将門討伐のために、道場を建立し、観世音菩薩を安置し、多くの修験者を集め戦勝祈願をした。
満願の日紫雲たなびき香気満ち如意宝珠雨と降り、紫雲とともに天空に昇ったという。
秀郷公は翌年討伐の兵を起こして、将門を滅ぼした。
天慶の乱と呼ばれる。
その後、秀郷公は当地に堂宇を建立して、如意山宝珠寺と称した。
秀郷の三男千国が、父秀郷没後、供養のため五輪塔を建立した。(市文化財)
天正年間(1590年代初め)秀郷の末裔である赤堀入道藤範公により、堂宇の再建がなされ、慶長五(1600)年前橋長昌寺五世揚山永橋大和尚を招き、曹洞宗に改宗された。
旧本堂は、宝永六(1707)年の再建。
山門も同じ時期の建立と思われる。
本尊は聖観世音菩薩で延宝三(1675)年京都の仏師康祐法橋の作である。
明治の初めまで、本堂で寺子屋が行われていた。
明治六(1873)年宝珠寺本堂を使用していた今井学校が創立された。
今井学校はその後西久保学校と合併され、現在の赤堀小学校となった。」


こちらが入口になります。
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参道を進んでいくと山門がありました。
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両脇には仁王像がありました。
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仁王門といった方が良いかもしれません。

また、右側には庚申塔がありました。
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左側には、諸仏が祀られています。
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仁王門を入ると、右側には諸仏が祀られています。
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その隣には天満宮がありました。
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鎮守社なんでしょうか?
中には菅原道真公の仏像がいらっしゃいましたので、「天神堂」といった方が良いかもしれません。

中央には菅原道真公、一番左側は地蔵菩薩でしょうが他はわかりません。
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天神堂前には、こちらがいらっしゃいました。
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狛犬なんでしょうか?
なんとも愛くるしい目をしてます。

進んでいくと鐘楼がありました。
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どんな音が鳴るのでしょうか?
聞いてみたいものです。続きを読む

百品神社(群馬県みどり市)1

群馬県みどり市にある「百品神社」に参拝してきました。
「いくしなじんじゃ」と読みます。

群馬県みどり市の中でも旧笠懸町に鎮座していました。

最寄り駅は、JR両毛線「岩宿駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、角に置きました。
神社の敷地のお隣は土建屋さんらしい建物があり、人も住んでいて、こちらを不審がってジロジロ・・・
こちらの神社は、個人所有なのか?


こちらの神社の由緒は、以下の通りです。(境内の由緒が刻まれた碑より)
「百品神社
祭神 大穴牟遅神
当社は大穴牟遅神を祭神として祀り新田義重公の崇敬厚く館の守護神として鹿田館邸内に勧請され元弘三年(西暦1333)には新田義貞公が祠前に義旗を挙げ鎌倉攻めに向かったことから戦の神さまとして信仰され、また、安産の神さまとしても長年にわたって信仰され当社に祈願した者や氏子中には難産に遭遇した者はいないとも言われ、難から守ってくれる神の意から家内安全交通安全の神さまとしても信仰が集まっている。
昭和三十年代までは樹齢三百年を超える大杉が静寂の境内に凛としてそびえ雲を突かんばかりのその様は近郷随一と称され、枝を鳴らす風の音は、四季の移ろいを告げ里人たちのくらしに指針を与えた」


群馬県神社庁に記載された住所を頼りにナビで行くと、番地がありません。
気を付けてください。

車を置いて参拝です。

こちらが鳥居になります。
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ずいぶん新しい印象があります。

こちらが由緒が刻まれた石碑になります。
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見ずらいですが・・・

境内の中央には、木がありました。
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桜なんでしょうか?
2月に参拝したので、全く咲いていませんでした。

こちらが社殿になります。
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祭神は、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)になります。

こちらの神社は、新田義貞挙兵伝説の地だそうです。
一般的には、太田市新田市野井に鎮座する「生品神社」が有力になります。
群馬県の東部には、○(生or百)品神社が多く鎮座をしておら、新田義貞がらみの神社が多いようです。

しかし、お隣には民家(会社?)があるので、果たして境内に居て良いのかどうか・・・
何だかジロジロ見られており、通報されそうで・・・続きを読む
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まほろばと申します。

「社寺参詣道 代表師範」になります。

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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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