神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2013年09月

大間々神明宮(群馬県みどり市)5

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群馬県みどり市に鎮座する「大間々神明宮」に参拝してきました。
旧郷社になります。

みどり市の中でも旧大間々町にありました。

最寄り駅は、わたらせ渓谷鉄道「大間々駅」になります。
徒歩では、10分はかからないと思われます。

駐車場は、参道を入り、鳥居の左側にありました。
自動車は、7〜8台位は停められそうです。
また、参道の南側には大きな駐車場があり、そちらにも停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「神明宮は黒川郷(渡良瀬川流域の里)一の社として、貞和三年(1347)境内地の伊勢ヶ渕に天照皇大神の神社を丈袋坊によりまつられる。
慶長二年大間々町の鎮守として現在の処に仮宮をたて、慶長四年(1599)中興遷座をする。
以来、明治十二年に至るまで二十一年目毎に社殿を建て替えまたは、修復工事をなし式年遷宮を行って来る。
この間、正徳五年(1715)外宮豊受大神の分霊を合祀し、天保七年(1826)酒井岩見守(二万五千石)は上州領分五千石の祈願所となし勢多郡下の勧化をゆるされる。
明治五年十一月一町十八ヶ村の惣鎮守として郷社に列す。
明治二十年三月大間々町の大火により社殿を消失し廃土のなか氏子達は再建する。
しかし二十三年再び火災にあい、氏子達の経済的負担が大きく縮小した社殿の建立となる。
その後、郷社神明宮にふさわしい社殿の建て替え計画は昭和の大恐慌により挫折する。
昭和十六年より五年間、氏子総代近藤春吉氏を中心に社殿改築資金の積み立てを行うが、終戦の混乱と物価の高騰により建築を断念する。
鎮座六百五十年、中興遷座四百年の記念事業としてまた、二十一世紀に向け数百年後まで残す大事業として、多くの氏子崇敬者に神社建築資金の御寄進を賜り平成十二年五月二十日総桧造りの御社殿を完成する。
ここに、神社建設に携わった方々、建設資金の御寄進を賜った氏子崇敬者の皆様に、新しいご社殿に鎮りまし坐す御神霊のご加護あらんことを祈念する。」


写真を撮ったのは、平成25年9月14日になります。御朱印を頂いた日とは違います。

こちらは、一の鳥居です。
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入ると、左側には手水舎がありました。

右側には、神楽殿がありました。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか・

進むと、狛犬がいらっしゃいました。
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こちらが社殿になります。
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神明造になります。
大日命 豊宇気毘売神が祀られています。

社殿の左側には、稲荷神社が鎮座しています。
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そのお隣は、八坂神社になります。
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上州三大祇園である「大間々まつり(大間々祇園)」の神社になります。

その左側へ行くと、愛宕神社がありました。
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一番奥には御隠居様という最初に天照大神を祀った祠がありました。
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小さな祠です。続きを読む

穴原薬師堂(群馬県みどり市)3

群馬県みどり市にある「穴原薬師堂」に行ってきました。

みどり市の中部、旧大間々町にありました。
といっても、旧大間々町の市街地から北へ行き、大間々貴船神社の近くにお堂はありました。

最寄り駅は、わたらせ渓谷鉄道「上神梅駅」になります。

駐車場は、見当たりませんでした。
山門横に自動車を置くスペースがあり、数台は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。(みどり市のホームページより)
「穴原薬師は眼病によく効くという。
薬師堂の開基は定かでないが、明治頃の古書には、大同年間(806〜809)弘法大師の御作という如来像の彫刻があったという。
また、堂下に大師の御手洗井があり、湧き出る水の枯れることがないとの書き伝えがある。
本堂は薬師如来を中心に左右に日光・月光菩薩があり、後ろに12神将と呼ぶ眷族が配されていた。
堂の裏手に青面金剛、その下の自然石に線刻で猿の面が彫られている。
山門に阿形・吽形の金剛力士像が一対、この聖域を守るべく、玉眼を見開き立っている。
なお、薬師堂が町指定重要文化財となった昭和60年に、仁王の修理解体が行われたが、その際に頭部より古文書が発見された。
この発見によって、仁王は寛政4年(1792)に田村利八及び孫助・塩右衛門三氏の彫師によって彫刻されたことが明らかになった。
また、同じく山門も建築上の特徴等から、寛政4年頃に竣工したものと推察され、これは大間々町に存在する唯一の楼門遺構でもあり、大変貴重な存在である。
この山門楼上には16羅漢の木像も安置されている。」


国道122号線から外れているので、道は広くはありません。
自動車で行かれる方は気をつけてください。

道沿いを行くと、このような石標があります。
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今は、みどり市指定重要文化財になっています。

先に進んでいくと、仁王門があります。
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こちらが仁王像になります。
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見づらいですが・・・

仁王門横には、石幢があります。
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多仏塔と呼ばれているもので、六地蔵が刻まれています。

こちらは、案内板です。
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よく読めません。
みどり市のお役人さん、見やすくしてください。
こちらの案内板の説明を掲載したかったです。

山門を入ると、右側に庚申塔がありました。
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また、左側に卵塔と思われる塔や石仏が安置されていました。
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どうして囲われているのでしょうか?
過去に荒らされたり、持ち去られたりしたのでしょうか?続きを読む

宗光山 玉巌寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「宗光山 玉巌寺」に参拝してきました。
曹洞宗に属するお寺になります。

太田市の金山の北側にお寺はありました。
細い道を行きますので、自動車で行かれる方は気を付けてください。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「太田駅」になります。
徒歩ではかなりかかりそうです。

駐車場は、お寺の入口前にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです(寺伝が書かれた案内板より)。
「今から680年前に世良田長楽寺の名僧栄朝禅師の法弟が、太田の金山の東麓の景勝の地を選んで仏寺を建立し、その後新田義貞の援助のもとに寺運は栄えました。
この辺りは鎌倉建長寺の玉巌窟に似ていることから玉巌寺と称しましたが、その後天下は麻のごとく乱れ堂塔も破壊されたのを見て、天意長朔禅師は大いに悲しみ伽藍の再興を思い立って、金山城主、横瀬信濃守貞国の助力を仰ぎ、これを再建し新田義貞義宗公の菩提を弔ったと申します。
建物本堂は、間口八間、奥行六間で堂内には、新田義貞、義顕、義興、義宗、横瀬貞国公の御位牌厨子が安置されており、山門には、新田大炊介義重公二十三世になる源徳純書になる金城窟の額面かかげております。
太田市の『上州太田七福神』では本堂に福禄寿を奉安し、『秋の七草』では藤袴(ふじばかま)寺となっています。」


こちらが入口になります。
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緩い石段を登っていきます。

こちらが寺号標になります。
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曹洞宗のお寺なので「禅」が付きますね。

こちらが山門になります。
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山門には由緒にあった通りに新田義重公二十三世になる源(岩松)徳純書の「金城窟」の扁額が掛けられています。
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なかなか立派な字です。

まだまた石段を登っていきます。
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足下にはお気をつけ下さい。

上がると、正面には本堂がありました。
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曹洞宗らしい質素な本堂です。
本尊である釈迦如来が祀られています。

こちらは屋根です。
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やはり、新田氏の家紋「大中黒」が寺紋になっていますね。
やはり新田氏所縁の寺院だけあります。

全体的な印象として、森の中に来たといった感じです。
春先から初夏にかけては、良さそうな感じがします。
秋は紅葉で綺麗かもしれません。続きを読む

JR安中駅と東邦亜鉛安中製錬所(群馬県安中市)4

JR信越本線にある「安中駅」に行ってきました。
住所としたら「群馬県安中市中宿950番地」になります。

JR東日本管轄の駅になります。

こちらの駅は、国道18号線沿いといった感じで、交通量の多いところにありました。

お隣の駅は、群馬八幡駅と磯部駅になります。

駅の全景としたら、普通の駅といった感じです。
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以前に紹介した深谷駅のように「関東の駅百選」には選ばれているわけではありません。

長野新幹線の安中榛名駅も遠いので、乗り継ぎは不可能かと思われます。

駅の裏側には、東邦亜鉛株式会社安中製錬所があります。
改札口から工場が見えます。
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工場萌えには、なかなか良いです。
萌えてしまいました。
お近くに来た方は、ぜひとも見てください。

こちらから磯部駅方面に行くと、鷺宮咲前神社が鎮座していました。
よかったらそちらの神社にも参拝してみてください。

大雷神社(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市に鎮座する「大雷神社」に参拝してきました。
「おおいかづちじんじゃ」や「たいらいじんじゃ」とも読むようです。

こちらの神社は伊勢崎市の北部、旧赤堀町にありました。
国道50号線にある「西久保」という交差点を少し南に行った所に神社は鎮座しています。

近くには、群馬銀行やJAがありました。

駐車場は神社の北側、社務所の後方にスペースがありました。
自動車は、数台は停められそうです。

最寄り駅は、JR両毛線「国定駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。


こちらの神社の由緒は、以下の通りです。(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著 伊勢崎佐波の神社誌より)
「当社の創建は、平安時代の中期の頃、藤原秀郷五世の孫、鎮守府将軍頼行の弟の足利又太郎兼行が渕名の荘を領するに及び、神明を尊崇して社殿を造営し鎮座式を行ったのに始まると伝えられ、以来当社に寄せる代々の崇敬篤かったが、後に渕名氏が滅亡して由良氏の領地となるに及び、更に社殿の修理が為された。
光厳天皇の御代の元弘三年(1333)五月新田義貞が鎌倉幕府追討の挙兵の際、当社に戦勝祈願したと伝えられる。
また、正親町天皇の御代の元亀二年(1571)、領主の崇敬篤く、市場に鎮座していた当社を現在の西久保に遷座した。
その後、江戸時代にに至り、光格天皇の御代の寛政十一年(1799)、領主の加納氏が本殿・拝殿共に改築し、赤堀十ヶ村の総鎮守となった。
明治六年、さらに勢多郡の野村・磯村両村をも併せ、十二ヶ村の郷社に列せられて今日に至る。」


一の鳥居です。
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こちらが社号標になります。
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鳥居をくぐります。

こちらは、二の鳥居です。
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手水舎です。
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先に進んで行きます。

こちらは三の鳥居です。
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こちらの神社は、神職が常駐していないので、何だか雰囲気は良くないです。

境内の右側には「宇氣母智神」と刻まれた碑がありました。
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いわゆる「保食神」と思われます。
稲荷神でしょうか。

こちらはなんでしょうか?
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何かの碑なんでしょうか?
何も刻まれてはいないような気がします。
それとも「巨石信仰」の一種なのか、それとも「力石」なのか?続きを読む
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