神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2013年08月

諏訪機神社(群馬県桐生市)3

群馬県桐生市に鎮座する「諏訪機神社」に参拝してきました。
「すわはたじんじゃ」と読みます。

桐生市の東部、真言宗豊山派「諏訪山 観音院」の西隣に鎮座していました。

最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。

駐車場は、見当たりませんでした。
観音院の駐車場を利用させていただきました。


周東隆一著「桐生市史神社編」によると、こちらの神社の由緒は以下の通りです(要約します。)。
「こちらの神社の創建は不詳です。
機神が主祭神で、諏訪社が後年配祀されたようである。
機神社は、明治五年3月3日に無格社に列格。
明治十年宮本町の無格社薬神社を合祀。
明治24年9月に建御名方神を合祀、10月には諏訪機神社と社名を変更したそうです。
諏訪神社は、古く信州の諏訪明神から勧請したそうです。
元禄年間には竹本土佐守より『諏訪山』という額を奉納、石鳥居・石灯籠も建立されたそうです。
諏訪山の額は、お隣の観音院に現存するそうです。
元は、諏訪神社が主体であり、現在のように機神社が主体となったのは、明治40年に旧諏訪神社が常祇稲荷神社に合祀されていたそうで、昭和24年に再度祀り直し、現在は諏訪神社が主体となり古い姿に戻っています。」


こちらの神社は、由緒を考えれば「桐生諏訪神社」と呼んだ方が良いかもしれません。

こちらが鳥居になります。
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鳥居に掲げられていた扁額には、諏訪神社とありました。

境内の左側には、「薬神社」が鎮座していました。
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祭神は、大己貴命になります。
医薬の神様として信仰されていて、参拝者は多かったようです。
「昭和15年に合祀した」と案内板にはありましたが、周東隆一著「桐生市史神社編」には「明治十年に合祀」とあります。
どうなんでしょうか?

境内の左側には、神楽殿と思われる建物がありました。
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そのお隣には、「能書稲荷神社」が鎮座していました。
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元は、お隣の「観音院」の別当だったそうです。
祭神は、宇迦御魂命になります。続きを読む

間野谷稲荷神社(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市間野谷に鎮座にする「稲荷神社」に参拝してきました。
便宜上、間野谷に鎮座しているので「間野谷稲荷神社」と呼ばせていただきます。

伊勢崎市の中でも北東部にあり、みどり市笠懸町に近いところにありました。
国道50号線からも神社は見えます。

最寄り駅は、JR両毛線「国定駅」と「岩宿駅」になりますが、両駅からかなら遠いです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、神社の西側に数台停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通りです。(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著 伊勢崎佐波の神社誌)
「当社の創建年代は不祥だが、赤堀十ヶ村の領主上野介景秀がこの地を統治するに及び、山城国の伏見稲荷神社より御分霊を迎えて鎮座式を行ない、氏子の生産安穏を祈ったと伝えられる。」


こちらが鳥居になります。
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鳥居に掲げられていた扁額です。
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「正一位稲荷大明神」と刻まれています。

石段を上がり、境内に入ります。

両サイドには、狐様がいらっしゃいました。
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稲荷神社には必ず居なければなりません。

こちらが社号標になります。
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旧社格が村社になるんですね。
木に隠れて、見ずらいです。

境内に入り、正面には社殿がありました。
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何だか曹洞宗系のお寺の本堂かと思いました。
祀られているのは保食神(うけもちのかみ)になります。
ガラス越しに中を覗き込みましたが、何だか集会所みたいな感じで、社殿のような雰囲気は感じられませんでした。
本殿は囲われており、わかりません。

境内には碑がありました。
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こんもりした上にありましたが、どうしたんでしょうか?
お隣の木は、ご神木なんでしょうか?

境内には、由緒を記す案内板は全くありませんでした。
普段は、参拝者はいらっしゃらないのでしょう。続きを読む

眼亀山 常楽院 最勝寺(群馬県桐生市)5

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群馬県桐生市にある「眼亀山 常楽院 最勝寺」に参拝しました。
天台宗に属するお寺になります。

桐生市の中心部にあり、桐生信用金庫本店や足利銀行新宿支店、渡良瀬川に架かる錦桜橋の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。
徒歩では、20分位はかかりそうです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、境内に数台停められそうです。
また、自動車は桐生市役所やシルクホールの駐車場に置いて、5分位は歩いても良いかもしれません。


こちらのお寺は、「新宿通り」に基点にあり、渡良瀬川にも近い場所にあります。
ここの一帯は、天文十三年(1544)に桐生城主桐生大炊介祐綱が膳城主膳因幡守と戦った場所になります。
元亀二年(1571)に桐生氏に仕えたことがあり、桐生氏滅亡後は由良氏に仕えた常見氏によって建立されたお寺になります。
元号に因み山号がつけられ、後に眼亀山と山号になったそうです。
また、近くには桐生雷電神社が鎮座していますが、開基の常見氏の屋敷神の雷電神社をその地に移して、最勝寺を別当寺としたそうです。
周辺は、最勝寺の門前町であったが、時代と共に寺域も縮小して、現在の境内になったそうです。


こちらが入口になります。
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本町通りから狭い新宿通りに入って直ぐにあります。

門標です。
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入ると、正面には本堂があります。
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本尊である薬師如来が安置されています。
準四国八十八ヶ所という霊場の札所本尊であるようですが、残念ながら廃れてしまったようで、札所の全容はわかりません。

また、地蔵菩薩も祀られており平安時代末期の作の仏像になるそうで、群馬県が重要文化財に指定しようとしましたが、辞退したそうです。

また、東上州三十三観音霊場の札所本尊の聖観世音菩薩も祀られています。

本堂に掲げられていた山号額になります。

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なかなか立派な字です。

境内の左側には、六地蔵がいらっしゃいました。(写真の左側)
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こちらは、無縁仏かもしれません。

写真の右側には、大きな石仏がいらっしゃいました。

大日如来でしょうか?
なかなか立派な石仏です。続きを読む

上中居諏訪神社(群馬県高崎市)5

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群馬県高崎市に鎮座する「上中居諏訪神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

最寄り駅は、JR高崎線・両毛線・八高線「高崎駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。
バスが近くまで来ているかもしれません。

駐車場は、神社の西側にありました。
自動車は、3〜4台位は停められそうです。

神社までの道は、少々狭いので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。

神社の由緒書きによると、由緒は以下の通りです。
「当社の由緒は詳らかでありませんが、古老の伝えるところによれば、往時信濃国の諏訪大社より勧請して諏訪明神と称し、境内に諏訪湖に似た池があって、後年になって庭地となったとい言われています。
安政二年(1855年)正月十一日に地頭へ願い出て許を受けて、文久二年(1862年)八月社殿を建替えをしました。
旧社殿の棟札に依れば、享保十七年(1732年)三月再建と記載してあることから、創立年代の古きこと疑いありません。
その後、大正七年に幣殿及拝殿を造営して現在の社殿の形状になりました。
上野国神名帳(西郡部)に従三位諏訪若御子明神とあるのは、当社のようであります。
天明年間に、別当所が災禍に合い、このため古記・古文書等が焼失してしまい、古事は不明である。」

こちらが鳥居になります。
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小さな鳥居です。
木造かな?

こちらが扁額です。
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こちらが社標です。
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境内に入ると、左側には神楽殿がありました。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

神楽殿の右側には「稲荷神社」が鎮座していました。
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稲荷神社は朱色の鳥居でないと。

こちらには、御神田がありました。
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新嘗祭が行われるのでしょうか?

稲荷神社と合わせて五穀豊穣の祈願になるのでしょう。

また、道祖神や地神尊も鎮座していました。
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土着の神様でしょうか。続きを読む

桐生山 鳳仙寺(群馬県桐生市)5

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群馬県桐生市にある「桐生山 鳳仙寺」に参拝してきました。
曹洞宗に属するお寺になります。

桐生市の北部、県立桐生女子高校の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。
徒歩ではかなりかかります。
近くまでバスが来ているかもしれません。

駐車場は、入口の右側を入っていくと本堂の右側に駐車場がありました。
自動車は、かなりの台数が停められます。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「戦国末期から現在まで420年余りの法灯が維持されております。
寺域は、周囲を豊かな自然に抱かれて四季おりおりのたたずまいの中、静寂閑雅な緑陰の別天地が形成され、唐人白山の『鳳凰飛舞仙人遊楽霊地也』から、寺号を『鳳仙寺』とし、瑞兆の帰結から『桐生山』とされました。
天正二年(1574年)桐生城主由良成繁公は、名田百石余と共に、勅使門の備わった伽藍を創建し、自らの菩提所として『桐生山鳳仙寺』が開山されました。
開山さまは、朝廷より賜った勅賜号・禅師を冠する高僧であり、二世黙之宗禅師は、後年『室中の法宝』と驚嘆される『夢中問答』や能筆な墨蹟で知られる学徳兼備の傑僧であり、三世大円門鶴大和尚は、学僧として高名で永平寺二十世の住持に晋山されました。
この頃の鳳仙寺では、常に四十人余の雲水が参禅修学し教導を受ける一大道場でありました。
十六世乙堂喚丑禅師は、鳳仙寺版正法眼蔵を始め、宗門史上貴重な教義を数多く残し宗学の師として仰がれ総持寺住持に晋住されました。(後略)」


御朱印を頂いたのは平成22年12月29日、写真を撮影したのは平成25年8月14日になります。

入口になります。
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右側は自動車が出入りできます。

門標になります。
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進んでいきます。

入ると左側には庚申塔や諸仏がありました。
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参道を進んでいきます。
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杉並木です。

進んでいくと沢に架かる鳳仙寺橋がありました。
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その先には「威徳の滝」がありました。
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こんな所にラブホテルがありました。
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何でここに・・・

その近くには地蔵堂がありました。
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雨降り地蔵だそうです。
このお地蔵様の謂れは、大阪夏の陣で豊臣方が破れたとの報せを耳にした某が両軍の兵達の霊を慰めるため建立したと伝わっています。
雨降り地蔵と名付けられた経緯は、晴天の日なのにこのお地蔵様が雨に濡れた様になっていたからだそうです。
てっきりラブホテルの近くにあったので「水子地蔵」だと思っちゃいました・・・

その先には石灯籠がありました。
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立派です。

先へ進みます。

鳳仙寺沢に鳳仙寺橋が架かっています。
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なんだか雰囲気が違ってきました。

曹洞宗らいし標です。
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こちらには勅使門があったそうです。
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先に進んでいきます。続きを読む
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