神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2013年05月

大東神社(群馬県伊勢崎市)5

群馬県伊勢崎市に鎮座する「大東神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

最寄り駅は、JR両毛線「国定駅」になります。
徒歩では、少々かかりそうです。
伊勢崎市にはコミュニティバスが走っているので、近くまで来ているかもしれません。

神社専用駐車場は見当たりませんでした。
神社の隣には、「あずま水生植物公園」の駐車場がありました。
そちらに自動車は停められそうです。


神社の由緒は以下の通りです。
「大東神社合併六拾周年及社殿修復記念之碑
抑々当大東神社は主祭神勝国勝長狭神にて之を夷毛野大明神と云う。
上野国神名帳佐位郡従四位上郡都奈明神とあるは当社なりと云う。
降而て東小保方字小泉無格社神明宮・字平井無格社北野神社・字下谷無格社雷電神社・字下野組下代無格社北野神社・字八寸無格社熊野神社・雷電神社、大小三十二社を大正二年十月十四日に同所字下中西村社勝呂神社へ合併同時に同所字陣屋前参千貮百九拾七番地の貮へ移転。
社殿建設の件、庁届を得て群馬県知事より大正二年十二月二十七日許可され、合併移転並に改稱して、村社大東神社と稱して假神殿に鎮座す。
大正五年二月二十二日社殿改築許可同年六月十九日吉辰棟梁石原島吉上棟同年十二月十日完成し十二月十七日正遷座祭を斎行鎮座す。
大正七年十月十八日神饌幣帛料供進神社に指定せられる。
昭和四十六年本殿、幣殿の屋根葺き替え及び内外の修理並びに東村文化財指定御手洗鉢保護の為、手水舎新築等五百六拾有余戸の氏子及び名士の寄付を得尚神社所有境外地字下谷参千八百六拾壱の拾、五九五平方米の土地を売却し代金を併せて工事を完成せり。
尚当地は東小保方発生の因に依り徳川時代の旗本参千貮百石久永氏の陣屋趾にして慶長五年より現在に至り風光明媚の地なり。
昭和四十六年辛亥五月吉祥」


あずま水生植物公園に隣接していますので、季節になると花が綺麗なようです。
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もっとも「花菖蒲」がメインのようです。
6月には、花祭りが開かれるようです。

北参道・南参道・東参道の三ヶ所から境内には入れます。

こちらは、東参道の鳥居です。
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一番大きな鳥居なので、こちらがメインかもしれません。

入ると左側には「猿田彦命」と刻まれて碑がありました。
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二の鳥居です。
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神額には「雷電宮」となっていました。
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何故「雷電宮」何だろうか?
境内には、雷電宮はありませんでした。
こちらの神社は、周辺の神社を合祀したなかに「雷電神社」がありますし、祭神にも「大雷命」がありますので、その神社かもしれません。続きを読む

上野國久永氏陣屋跡(群馬県伊勢崎市)5

正確には「城址」と言うよりも「陣屋跡」に行ってきました。

群馬県伊勢崎市に「大東神社(だいとうじんじゃ)」があります。
伊勢崎市の中でも旧佐波郡東村になります。

その境内には、「旗本久永氏陣屋跡」がありました。
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この久永氏は、Wikipediaでは次の情報がありました。
「久永家 3,200石
武蔵国児玉郡、上野国佐位郡・新田郡・邑楽郡、下野国安蘇郡、常陸国信太郡・河内郡内 初代・久永重勝は弓術の名人。」

この久永氏といのは、「交代寄合」という一種の名誉職的な旗本になっていたようです。
領地は、現在の伊勢崎市と太田市の一部にあったそうです。

こちらが陣屋跡になります。
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残念ながら陣屋自体はありませんでした。

陣屋跡の西側は、「あずま水生植物公園」になっていました。
菖蒲が多くあり、時期が過ぎていますので、残念ながら見ることは出来ませんでした。
時期には、良いかもしれません。

神社の片隅にあるだけあって、参拝者もちらほらいらっしゃいました。

こちらが案内板です。
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‐旗本久永氏陣屋跡 案内板‐
「現在の東小保方地区は江戸時代には東小保方村と呼ばれ、徳川家の旗本久永源兵衛重勝の領地でした。
久永氏は石見国(島根県)の出身であり、埼玉や茨木にも領地が点在する禄高3,200石の旗本でした。
東小保方村は石高が1,182石の村であり、久永氏は村の支配のためにこの地に陣屋を設けました。
陣屋は東西75m、南北120mの大きさで、濠や土居が構えられていました。
濠はその後拡幅されて池となってしまい、現在では南池の南端と西池の東端にわずかに当時の面影が残されているのみです。
南面には正門を有し、更に南へと通路が続いて細長い大手枡形となり、南端には木戸が設けられていたものと思われます。
この形は陣屋特有のものであり、県内でも吉井や岩鼻の陣屋がこれと同じになっています。
明治維新後陣屋は廃され、一時期小保方小学校として使われるとともに、大正二年には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。」


大東神社の社殿の後方には、陣屋の敷地内に勧請された稲荷神社が鎮座していました。
いわゆる「屋敷神」になります。
小さな社殿でした。

猿田彦神社(栃木県日光市)3

栃木県日光市に鎮座する「猿田彦神社」に参拝してきました。

庚申山の中腹に鎮座しています。

旧足尾町にありますので、便宜上「足尾猿田彦神社」と書かせていただきます。
最寄り駅は、わたらせ渓谷鉄道「原向駅」になります。
徒歩では、無理かと思われます。

駐車場は、道路沿いにありました。
数台は停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通りです(案内板より)。
「当社は、明治23年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立されたが、昭和町29年小滝坑廃止のさい、奉祀する三神を本山山神社に合祀した後、猿田彦神社の遥拝殿となった。
本社は勝道上人が難行苦行の末、庚申山奥の院に神霊を祀ったときに起り、今は三尊像を祀る庚申山荘内小祠が本殿である。」


国道122号線から庚申山方面に向かっていく途中にありました。

道は細くなっていきますので、気をつけて下さい。

途中には、足尾銅山の採掘した坑がありました。
こんな山奥からも採掘したとは、知りませんでした。
猿にも遭遇しました。

「足尾温泉 かめむら旅館」が目印になります。

神社に行くには、庚申川を渡ります。
細い橋です。
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川です。
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コワイコワイ

旅館の裏手より先に進みます。

鳥居になります。
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参道を進みます。
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足元に気をつけて下さい。続きを読む

60,000アクセス5

ブログのアクセス数が「60,000アクセス」を超えました。

私のブログを読んでいただきありがとうございますm(_ _)m

関東地方の社寺がほとんどですが、メジャーからマイナーな社寺を参拝日記(御朱印日記)を随時更新しようと思っています。

ここのところ、5月4日にテレビ東京で「東国花の寺めぐり」が放送されたことにより、栃木県栃木市の「金滝山 清水寺」、埼玉県本庄市の「大用山 長泉寺」で検索をして来る方々が多いです。
テレビの影響は凄いですね。
これからの時期は、花の寺巡りも良さそうな感じです。


次は、何処に行こうかな?

倭文神社(群馬県伊勢崎市)5

群馬県伊勢崎市に鎮座する「倭文神社」に参拝してきました。
延喜式内社になります。

群馬県伊勢崎市の中でも西部に位置し、玉村町にも近いところありました。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車は、神社の裏手に数台は停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通り。
「当社の御祭神は、天羽槌雄命で、その歴史は古く機織の祖神として、また農耕、養蚕の神として尊崇されてきた。
その創建は、人皇第十一代垂仁天皇の御宇三年と伝えられているが、これを明らかにする証跡は、現在不明となっている。
貞観元年(859)に官社に列せられ、従五位下を授けられた。(三代実録)
その後、延長五年(927)に撰集された『延喜式』神明帳の中に倭文神社の名が載せられ、上野神明帳には、『従一位倭文大明神』とあって、上野国の九之宮とも称された。
その後、戦国時代の争乱にまきこまれ、一時荒廃したが徳川氏の江戸入部以来関東地方も次第に平和をとりもどし、元和年間(1615〜23)から寛永年間(1624〜43)に入る頃は、社殿も再建され、別当寺として、新義真言宗宮川山慈眼寺が定めなった。
以後近世を通じ倭文神社は慈眼寺の管理下におかれた。
三代将軍家光の慶安元年(1648)九月には、御朱印地十石を賜わり、漸く安定した神社経営が行われ、祭事も復興し、神威もいよいよ加わるに至った。
その後約八十年を経て、享保十二年(1727)八月には、八代将軍吉宗から社殿再建勧進の許可を得て上野国はもとより、江戸府内からも浄財の寄進を仰ぎ、旧にまさる荘厳な社殿鳥居などが再建され、大いに隆盛をきわめた。
しかし、この社殿も慶応二年(1866)十一月九日再度火災に会い、悉く灰燼に帰してしまった。
現在の社殿はその後、明治十三年十月二十四日(上棟)に再建されたものである。
なおさきの御朱印地十石の斎田は、明治維新の際上納され、また明治元年の神仏分離令により、別当寺や社僧の制も廃止され、神職によって祭祀される現在の姿となった。
その後区内の小社祠の整理合祀も行われ、この間郷社に列せられた。
また大正十四年には、神饌幣帛料供進社に指定された。
今次大戦後は、国家神道や社格もなくなり、純粋な上之宮町の鎮守として今日に至っている。」


伊勢崎市の中心部からかなり外れますので、周辺は長閑な田園地帯です。

こちらは、社標です。
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こちらが鳥居になります。
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こちらが鳥居に掲げられた社号額です。
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境内の右側には、神楽殿がありました。
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また弁天社がありました。
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木陰に隠れて、わかりづらいです。

こちらが社殿です。
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式内社だけ立派です。

こちらが本殿です。
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なかなか立派です。続きを読む
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