栃木県足利市の西部、八幡町に鎮座する「下野國一社八幡宮」に参拝してきました。
旧県社になる神社になります。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「野州山辺駅」になります。
駐車場は、社務所の前にありました。
自動車は、十台位は停められそうです。
他にも駐車場はあるかもしれません。
「八幡八幡宮」とも呼ばれている神社になります。
こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「八幡宮の社伝によると、天喜四年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、阿部頼時父子との戦い(前九年の役)にあたり当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都)の男山八幡宮を勧請したといわれております。
文明八年(1476)8月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和七年(1621)11月、江戸幕府より20石の朱印社領を許されました。
この時の設計図や費用明細書等が残されております。
八幡宮は、八幡太郎義家・義国の父子の手厚い信仰により源姓足利氏の代々の氏神として保護され、古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称されておりました。
幣殿・拝殿については、平成八年、九年度に保存修理を行い、創建当時の姿をみせております。」
鳥居はになります。
銅製になり、足利市指定重要文化財になっています。
社標になります。
鳥居を入り、右側にある「黒松」は足利市指定天然記念物になっています。
御神木という位置付けでしょうか。
左側には、手水舎がありました。
手水舎の隣には、「源姓足利市発祥の地」との石碑がありました。
裏には、説明がされていました。
ふむふむ・・・
このような碑もありました。
参道を進みます。
神楽殿です。
妙に新しいような感じもしますが、新築をしたのでしょうか?
こちらが社殿です。
なかなか立派な社殿です。
社殿の内部です。
荘厳な感じが。
社殿裏手には、和歌のような碑がありましたが・・・
なんて書いてあるのだろうか。
調べていなかった・・・続きを読む
旧県社になる神社になります。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「野州山辺駅」になります。
駐車場は、社務所の前にありました。
自動車は、十台位は停められそうです。
他にも駐車場はあるかもしれません。
「八幡八幡宮」とも呼ばれている神社になります。
こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「八幡宮の社伝によると、天喜四年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、阿部頼時父子との戦い(前九年の役)にあたり当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都)の男山八幡宮を勧請したといわれております。
文明八年(1476)8月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和七年(1621)11月、江戸幕府より20石の朱印社領を許されました。
この時の設計図や費用明細書等が残されております。
八幡宮は、八幡太郎義家・義国の父子の手厚い信仰により源姓足利氏の代々の氏神として保護され、古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称されておりました。
幣殿・拝殿については、平成八年、九年度に保存修理を行い、創建当時の姿をみせております。」
鳥居はになります。
銅製になり、足利市指定重要文化財になっています。
社標になります。
鳥居を入り、右側にある「黒松」は足利市指定天然記念物になっています。
御神木という位置付けでしょうか。
左側には、手水舎がありました。
手水舎の隣には、「源姓足利市発祥の地」との石碑がありました。
裏には、説明がされていました。
ふむふむ・・・
このような碑もありました。
参道を進みます。
神楽殿です。
妙に新しいような感じもしますが、新築をしたのでしょうか?
こちらが社殿です。
なかなか立派な社殿です。
社殿の内部です。
荘厳な感じが。
社殿裏手には、和歌のような碑がありましたが・・・
なんて書いてあるのだろうか。
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