神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

東京十社めぐり(東京23区内)5

 明治元年(1867)京都の二十二社にならい、東京にも准勅祭社が定められました。現在の東京十社に大国魂神社と武蔵国鷲宮神社を加えた形で定められましたが、明治三年には廃止されました。
 昭和五十年に遠くにある大国魂神社と鷲宮神社を除いた23区内にある神社で「東京十社」となり、巡拝ができるよう始まりました。

 専用の御朱印帳や巡拝記念ミニ絵馬がありました。
 巡拝記念ミニ絵馬は300円、ミニ絵馬をはめる大きな絵馬が1,500円になります。大きな絵馬は品川神社で見ましたが、各神社であるかと思われます。
 これは品川神社で頂いたミニ絵馬になります。
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 このミニ絵馬を頂いて巡拝するのも良いかもしれません。

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佛日山東禅寺 イギリス公使館跡(東京都港区高輪)5

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 東京都港区高輪にお寺はありました。

 最寄り駅は、都営浅草線「泉岳寺駅」、JR山手線「品川駅」になります。両駅から徒歩圏内です。

 お寺専用の駐車場は見当たりませんでした。自動車で行く方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(吉川弘文館刊『日本仏教史辞典』による)。
「東京都港区高輪にある寺院。臨済宗妙心寺派に属する。山号は仏日山。開基は伊東祐慶。開山は嶺南崇六(大天法鑑禅師、竜泉派)。江戸妙心寺派触寺(海禅・東禅・松源)三ヵ寺の一つ(元文年間(1736〜1741)までは麟祥院を含む四ヵ寺)。
 日向国飫肥(おび)出身の嶺南は、慶長十五年(1636)に日向飫肥城主の伊東祐慶の帰依を受け、江戸麻布桜田の邸宅を寺基として開堂したが、寛永十三年(1636)に現在地に移転。山内には興聖・松寿・宗法・心源などの諸院があり、また伊東氏はじめ諸藩の香火所となり、殿堂きわめて荘厳であった。幕末には外国人宿所に充てられたことから、英国公使が水戸浪士の襲撃を受けること(東禅寺事件)もあったが、明治以降は檀越の外護も失い、また火災などで諸堂が焼失して旧観を失った。」

 また、小学館刊「佛教大事典」によると次の通りです。
「臨済宗建妙心寺派。東京都港区高輪。山号は仏日山。本尊は釈迦如来。
 1610年(慶長十五)伊東祐慶(すけのり、日向飫肥)を開基、嶺南崇六(れいなんすうろく)を開山として、赤坂溜池辺りに創建。36年(寛永十三)現在地に移る。幕末には英国公使館が置かれ、1861年(文久一)水戸浪士の東禅寺事件が起こったことで著名。」


 「高野山東京別院」のそばにお寺はありました。
 
 山門にになります。
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 参道を進みます。
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 鬱蒼とした木々の中に三重塔や本堂がありました。
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 境内には躑躅(つつじ)が咲いており、とても綺麗でした。
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 江戸時代末期にイギリス公使館が置かれたそうで、国指定史跡と都指定旧跡となっています。
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 鐘楼堂になります。
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 江戸時代の大名もこちらのお寺を菩提寺にしている藩もあるそうです。忠臣蔵の中で浅野内匠頭の切腹した屋敷の主の田村右京太夫もこちらの寺院に葬られています。

 御朱印は、本堂の右側にある庫裡で頂けました。御朱印代は300円でした。




寺院名:佛日山 東禅寺
所在地:東京都港区高輪三丁目16‐16
宗 派:臨済宗妙心寺派
寺格等:別格本山
本 尊:釈迦如来

成田山高崎分院光徳寺 再拝(群馬県高崎市成田町)5

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 群馬県高崎市の中心部にあり、成田山新勝寺の高崎分院になる寺院になります。
 
 最寄り駅は、JR両毛線・高崎線・八高線「高崎駅」になります。

 駐車場は、境内にありました。自動車は、数台は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗供戮茲螳貮抜粋。)
「(前略)
 成田山光徳寺・竜宝堂の本山は、千葉県の成田山新勝寺で、新勝寺は成田不動尊と呼ばれ、939年僧寛朝が平将門の乱のときに、高雄の神護寺に祈願し、乱後一宇を建てたもので、元禄年間(1688〜1704)照範が中興し本堂を建て、多くの信者を得るようになったという。
 また、明治初年、中山道高崎宿本町の境屋旅館の館主後藤安五郎は、成田山新勝寺のあつい信者で、烏川〜利根川を舟で半月もかけて参詣を続けていた。
 明治十年(1877)、高崎藩が廃され城跡が陸軍用地となるに及んで、城中西南隅の大河内輝貞の祈願所、威徳寺を買いうけ、当地へ移転し、明治四十年(1907)6月、北甘楽郡一ノ宮町田島村の天台宗施無畏寺へ合併されるまで、千葉県の成田山新勝寺の末寺であった。合併後現在まで、威徳寺の内陣は光徳寺本堂東に建てられており、市指定の重要文化財となっている。
 同四十五年(1912)埼玉県児玉郡児玉町より現在の光徳寺を現在地へ移転したという(名目のみとか)。時の住職松本宥海。移転当時、周囲は皆水田、本町二丁目から参道を開削したといわれている。
 『上野国寺院明細帳』によれば、光徳寺の由緒は

 天正十一年(1583)北条ノ臣、八幡城主横地左近将監吉晴ノ建立。開山定栄法印、光徳寺ト号ス。天明三年(1783)類焼ニ罹リ、古書類焼失。同四年担徒ノ寄附ヲ以テ再建ス。
 明治四十五年(1911)2月20日、埼玉県児玉郡児玉町児玉ヨリ移転ス

とあり、さらに『昭和六年(1931)7月、多野郡美里町本動堂新義真言宗智山派医王寺(現存せず)持ノ阿弥陀堂移転合併、境内附属仏堂トセリ』とある。
 阿弥陀堂は、本堂西側に現存するが、移転当時高崎駅近くの大工町から(聖徳)太子堂も移転合併され、大工職の人々からあつく信仰されており、(聖徳)太子堂の名前で親しまれている。
(中略)
 本堂内の本尊は、大日如来・不動明王ならびに矜羯羅童子・制咤迦童子である。
 当寺の檀徒は7戸、信者1,276人と『明細帳』には記載されているが、現在は檀徒らしき者はなく、その時々に参詣に訪れる不特定多数の信者のみで、テレビの普及によってか減少傾向である。
 元来、智山派の寺は祈願所で檀家はなく、葬式もおこなっておらず墓地もない。
 したがって寺の運営財源は、初詣・節分・春秋の大祭・毎月28日の縁日などの参詣者のお賽銭・護摩札などの売上げ、駐車場賃貸料なとの収入によるという。
(後略)」


 高崎市の中心部、周辺は住宅や会社がある場所に「高崎成田山」はあります。といっても、境内はとても静かでした。

 入り口になります。
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 不動明王が持つ剣がありました。
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 本堂は2階にあり、階段を登っていきます。
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 1階は、寺務所兼庫裡になります。

 本堂に向かって左には「太子堂」がありました。
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 「聖徳太子」が祀られており、建築業関係の方々に信仰があると思われます。

 御朱印は、1階の「庫裡」で頂けます。御朱印代は300円(納経帳)、500円(北関東三十六不動尊霊場専用納経軸)になります。北関東三十六不動尊霊場の御御影は頂けました。

 庫裡には御守りや御札といった授与品がありますので、頂きたい方は申し出てください。
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 私は「身代御守り(一体700円)」を頂きました。





寺院名:成田山 高崎分院 光徳寺
所在地:群馬県高崎市成田町23番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:大日如来 不動三尊
通 称:高崎成田山
札所等:北関東三十六不動尊霊場 五番札所
御詠歌:光徳寺 うごかずの尊 とこしえに くにの平和と じゆう護らん

多氣山不動寺持宝院 北関東不動尊霊場(栃木県宇都宮市田下町)5

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 栃木県宇都宮市の西部にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線・日光線「宇都宮駅」、もしくは東武宇都宮線「東武宇都宮駅」になります。
 徒歩でお寺まで行くのは無理ですので、バスをご利用ください。両駅から「立岩」バス停行きに乗り、「大谷観音」バス停下車、徒歩約30分になります。ちなみに大谷観音バス停の一つ前が「切通し」、二つ手前が「大谷橋」バス停になります。
 もしくは、「鹿沼営業所」行きのバス停に乗り、「田野町」バス停下車、少し歩きます。

 お寺専用駐車場はありました。自動車は、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗智山派、多気山、持宝院。本尊は不動明王。開山は勝道の弟子尊鎮。
 本院縁起によれば、宇都宮氏の始祖宗円が不動明王を奉じ、東国に下り氏家勝山に国家安穏の護摩壇を構え、五大明王の秘法を修めたという。宗円はこののち康平七年(1064)この地に伽藍したという。長治二年(1105)氏家勝山の伽藍が焼失し、宇都宮宗綱は霊験あらたかな不動明王を多気山に移し本尊を祀った。
 寺領十五石。
 のち宇都宮歴代城主の信仰あつく祈願所となった。」

 また、下野新聞社刊塙静夫著「とちぎの社寺散歩」よると次の通りです(一部抜粋)。
「(前略)
 当寺は、通称『多気さん』とか『多気の不動尊』といわれ、四季をとおして参詣者が多く、とくに正月中は大混雑し、参道脇は車でうめつくされる。
 寺伝によれば、弘仁十三年(822)、日光を開いた勝道上人の門弟尊鎮が馬頭観音を本尊として開山したという。その後寺の歩みについつは明かでないが、長治二年(1105)、宇都宮二代城主宗綱が勝山城(現・氏家町氏家)内の明王堂に安置してあった不動明王像を当寺に移して本尊にしたという。一説にはこの仏像を移したのは、建武二年(1335)、宇都宮九代城主公綱のときであるともいう。
 伝承によれば、この不動明王像は、藤原宗円(宇都宮氏の祖という)前九年の役(1051〜1062)のさい、源頼義にしたがって下向のときに捧持し、勝山で朝敵調伏(調伏とは悪を打破すること。とくに密教で五大明王などを本尊として怨敵を降伏させること)の壇をかまえて戦勝を祈願したものという。
 この本尊は、現在不動明王坐像(市指定)として本堂(不動堂)の奥に安置されている。高さ1.73辰隆麑畋い蚤枡發法惺応元年(1389)己巳十月廿六日』に修復した墨書銘がある。像は忿怒の形相(表情)をとっているが、顔面筋肉のはれ膨れや隆起などはみられず、力を内に秘めた成田山新勝寺(成田市)の不動明王像に似ている。平安時代末期ので、今では火よけ・商売繁盛の不動尊として信仰されている。
 山門をくぐり、136段のきつい石段をのぼると、右側に本堂(不動堂)があり、その左手に祭神殿がある。この裏側一帯は多気山持宝院社叢(市指定)として特別に保護されている。この社叢は、わが国の暖帯林の縁に位置する樹林として学術的な価値が高く、アラカシ・ウラジロガシ・ツクバネガシなどのカシ類と、ヤブツバキ・ヒサカキ・ヤマザクラ・ヤマモミジ・イタビカズラ等が茂っている。
(後略)」


 宇都宮市といっても市街地からかなり外れていますので、周辺は山の中といった感じでした。
 緑が多いので、春先から紅葉の時期の参拝をお薦めします。

 交通安全祈祷殿になります。
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 先に進むと山門がありました。
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 右側には本坊がありました。
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 急な石段を上がっていきます。
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 石段を上がり、境内にはいると本堂と大師堂がありました。
本堂
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歳神堂
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神楽殿かと思いましたが…

 大師堂
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 本堂は不動明王、大師堂は弘法大師と馬頭観音・如意輪観音が祀られています。不動明王は北関東三十六不動尊霊場、馬頭観音は下野三十三観音霊場の札所本尊になります。
 ちょうど本堂では護摩祈祷が始まるところでした。開始の合図が法螺貝でした(´・ω・`)

 御朱印は、境内の右側にある授与所で頂けました。
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 「不動明王(2種類)」・「寿老人」・「馬頭観音」の4種類になります。御朱印代は各300円(納経帳)、500円(北関東三十六不動尊霊場納経軸)です。

 御守りや御札といった授与品はありました。

 多気不動尊から「大谷観音(坂東三十三観音霊場十九番札所)」まで2匱紊覆里納動車でさほどかからないかと思われます。






寺院名:多氣山 不動寺 持宝院
所在地:栃木県宇都宮市田下町563番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:不動明王
通 称:多氣不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十八番札所
    下野三十三観音霊場 別格霊場
    下野七福神 寿老人
御詠歌:あらたかや 願いをさずく 不動尊 衆生守る 多気のみ山

成田山高崎分院光徳寺 身代御守(群馬県高崎市成田町)5

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 群馬県高崎市にある「成田山高崎分院光徳寺(高崎成田山)」にて「身代御守」を一体頂きました。700円になります。
 真言宗智山派大本山「成田山新勝寺」の分院なので、やはり私の頂いた身代御守や勝守がありました。
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 御札もありましたが、いくらなのかは分かりませんでした。聞いてくればよかったです。

 本堂は二階ですが、1階の寺務所で頂けます。本堂がある建物に向かって右側から入っていきます。「成田山高崎分院」と貼り紙があり、その傍にあるインターホンを押してください。後ろから声をかけられるので、声をかけられたら振り返って下さい。

 御朱印はあしました。汎用の御朱印帳にも頂けます。




寺院名:成田山 高崎分院 光徳寺
所在地:群馬県高崎市成田町23番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:大日如来 不動三尊
通 称:高崎成田山
札所等:北関東三十六不動尊霊場 五番札所
御詠歌:光徳寺 うごかずの尊 とこしえに くにの平和と じゆう護らん
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