まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

妻沼聖天歓喜院 勢至菩薩の御朱印(埼玉県熊谷市妻沼)5

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  埼玉県熊谷市の北部、旧妻沼町に寺院はありました。


 最寄り駅は、JR高崎線「熊谷駅」になります。熊谷駅よりあさひバス「太田駅行き」・「西小泉駅行き」・「妻沼聖天前行き」に乗り、「聖天前」バス停で降りてすぐです。


 寺院専用の駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです(吉川弘文館刊『日本仏教史辞典』による)。

「【歓喜院】

 埼玉県大里郡妻沼町にある高野山真言宗の寺院。聖天山長楽寺と号す。

 平安時代後期長井庄司斎藤別当実盛が白髭社を修造して歓喜天を祀り聖天宮と称し、長井庄総鎮守となる。建久八年(1197)実盛の次男阿請房良応が改築し別当寺歓喜院を建立。天文二十一年(1552)忍城主成田氏の命で女(妻)沼の地頭手島美作守が修築。慶長九年(1604)徳川家康から朱印五十石を賜る。明治初年聖天堂は別当寺歓喜院に所属する

 建久八年銘の御正体の錫杖は重要文化財に指定されている。」


 惣門になります。
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 山号標になります。

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 中門になります。
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 護摩堂になります。
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 自動車の祈祷をするお堂でちょうど中では交通安全の祈祷が行われていました。

 山門になります。
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 手水舎になります。
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 大師堂になります。
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 関東八十八ヶ所八十八番札所(結願札所)になっています。

 こちらのお寺は「歓喜天」を祀るお寺として知られています。聖天堂(本堂)は国宝に指定されました。
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 横から。
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 聖天堂前の案内板によると次の通りです。

「国宝歓喜院聖天堂

 妻沼聖天山は、治承三年(1179)、斎藤別当実盛公がこの地に大聖歓喜天を祀り開基したことに始まります。

 その本殿である『歓喜院聖天堂』は、享保二十年(1735)から宝暦十年(1760)に掛けて、林兵庫正清及び正信らによって建立されました。歓喜院聖天堂は、拝殿・中殿・奥殿を結ぶ権現造の建築様式であり、その各所に豪華絢爛な極彩色の彫刻が施されています。奥殿を中心に丸彫や透彫、地紋彫等の緻密な彫刻技法が用いられ、その上に漆塗りや極彩色が加わり、荘厳性を極致まで高めています。

 日光東照宮の創建から百年あまり後、装飾建築の成熟期となった時代に、棟梁の統率の下、東照宮の修復にも参加した職人たちによって、優れた技術が惜しみなくつぎこまれた歓喜院聖天堂は、近世装飾建築の頂点であると言えます。そして、このような建物の建築が民衆の力や願いによって成し遂げられた点が、文化史上高い価値を有すると評価されています。

 平成十五年から平成二十二年に掛けて歓喜院聖天堂の保存修理工事が実施され、極彩色の彫刻世界が蘇りました。

 平成二十四年七月九日に、歓喜院聖天堂は、国宝に指定されました。この国宝指定は、埼玉県の建造物として初の栄誉です。

 平成二十六年三月 熊谷市教育委員会」


 聖天堂の拝観は、700円拝観料が必要になります。


 ポスターがありました。
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 今年の4月16日火曜日から22日月曜日にかけて秘仏のご本尊の御開扉(御開帳)が行われるそうです。20日・21日の土日は混みそうな予感がします。
 ホームページ上では「御開扉浄願会の会費を納めた方が拝観できます。当日券もあります。」が拝観できるそうです。
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 上記の案内によると「ご本尊御開扉特別寄付一口1,000円以上」とあるので、その金額以上を納めた方のみ拝観でしょう。

  御朱印は、境内右側にある授与所で頂きました。大聖歓喜天、観世音菩薩、勢至菩薩の三種類の御朱印があります。私は勢至菩薩の御朱印(御緑印?)を頂きました。御朱印代は300円でした。


 浴油祈祷は、祈祷料3,000円よりあります。常時祈祷は行われるようです。


 オリジナル御朱印帳(1,500円)や御守り(500円〜)といった授与品はありました。

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 写真の御守りは500円でした。諸願成就の御守りだと思われます。



寺院名:聖天山 長楽寺 歓喜院
所在地:埼玉県熊谷市妻沼1627番地
宗 派:高野山真言宗
寺格等:準別格本山
本 尊:十一面観音 大聖歓喜天
通 称:妻沼聖天
札所等:関東八十八ヶ所 八十八番札所
    ぼけ封じ関東三十三観音霊場 十六番札所
    東国花の寺百ヶ寺
    彩の国武州路十二支霊場 午歳守護
    幡羅新四国八十八ヶ所 十三番札所
    関東三大聖天
御詠歌:大利根の みずゆたけしと 妻沼なる 神の恵みの つきぬ尊うとさ
URL:http://www.ksky.ne.jp/~shouden/

世良田東照宮 葵の御紋が入った御守り(群馬県太田市世良田町)5

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 群馬県太田市世良田町に鎮座する「世良田東照宮」で戴いた「葵の御紋の入った御守り」です。身体健全や開運招福等の諸願成就の御守りかと思います。初穂料700円です。紺色の御守りもあります。
 葵の御紋が入っていると「この紋所が目に入らぬか!」って言いたくなります(´・ω・`)

 本殿になります。
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 本殿にある「巣籠りの鷹」です。
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神社名:世良田東照宮
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119‐1
主祭神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神 外十柱
社格等:旧郷社

日光東照宮 年越しの大祓の剣祓札(栃木県日光市)5

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 日光東照宮より年越しの大祓の授与品が届きました。「剣祓札」になります。授与所にはならんではいない授与品かと思います。

 日光東照宮で祈祷祈願をしてもらおうかな?と思っても、この時期は雪で自動車で行くのは大変かなと・・・
 春先に行くかな。

 陽明門
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 「聞かざる、言わざる、見ざる」
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神社名:日光東照宮
鎮座地:栃木県日光市山内2301番地
祭 神:徳川家康公
相 殿:源頼朝公 豊臣秀吉公
社格等:旧別格官幣社
札所等:全国東照宮めぐり
    奥の細道関東路三十三ヶ所霊場 二十五番札所

冠稲荷神社 お正月&戌日の参拝(群馬県太田市細谷町)5

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 群馬県太田市の西部に神社は鎮座していました。

 国道354号線の少し南にありました。周辺には神社の看板がでてきますので、わかりやすいかもしれません。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「細谷駅」になります。

 駐車場は、神社の西側にありました。自動車は、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県太田市細谷町に鎮座。祭神は宇迦之御魂命・猿田彦命・大宮能売命・大国主命・少彦名命ほか五柱。旧暦二月初午に火渡獅子舞がある。
 天治二年(1125)に源義国が国司として赴任の際に鎮祭し、承安四年(1174)に源義経が京都の伏見稲荷を勧請したと伝える。新田義貞は戦勝の奉賽として社領を寄進。領主・城主ほか豪商三井家が厚く信仰した。」

 また、案内板によると次の通りです。
「当神社は、往昔、宿窪明神(宿穴伏明神)と号し、上野国神名帳に名を留める古社で、創建は古代と伝わる。
 当地細谷は、古代は蛇川両縁の窪地なるために宿窪と称し、のちに地勢恰も山間の谷の如し、故に細谷と改称すと地誌にある。
 天治二年(1125)源義国公は、館の丑寅に当る当社を鬼門鎮護の霊場とし、源氏一門守護の氏神を鎮祭した。この時をもって当社御鎮座とした。義国公は、皇統第五十六代、清和天皇の子孫にして、清和源氏第五代源義家の嫡子である。義国公の長子は新田家の開祖、新田義重であり、次子は、足利家の開祖、足利義兼である。故に、義国公は、中世以降を司った源家一門の始祖といわれる。承安四年(1174)源義経公十五歳にして源氏再興を志し、奥州へ下向した。その折、当社に仮泊し、深更社殿の深奥に瑞光をみた。そして自身の曾祖父源義親の弟義国公ゆかりの社と知り、元服の時、冠(鳥帽子)の中に勧請してきた伏見稲荷大社のご分霊を鎮祭した。以来、伏見稲荷大社の分祀社として崇敬されるようになった。新田義貞公は若年の頃より当社への崇敬厚く、常用の四十二間筋兜(国宝)に稲荷大明神の神名を刻み、数多の神領、宝物を奉納し、年中五十三度の祭禮を当社にて執行した。元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げたとき、神前に戦勝を祈願し兜の中に神霊の来臨を請えば、種々不思議の感応があったという。以来新田家は北条氏を滅ぼす偉功をあげたのは、当神社の神威によるものと崇敬益々深厚にしたという。
 当社は稲荷大明神と称したが、村人は義経公、義貞公の故事を尊び、江戸時代中期より『冠稲荷』と呼び習わした。この由縁をもって、明治維新の折、名を冠稲荷神社と改めた。」


 大鳥居です。
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 鳥居をくぐります。
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 社殿になります。
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 本殿になります。
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 初詣ら祈祷祈願を受ける参拝者も多く、また御朱印を頂く方も列を作っていました。

 御朱印は、社殿右側の「御朱印筆耕処」で頂きました。御朱印代は300円です。書き置きの御朱印があり、御朱印代は500円です。




神社名:冠稲荷神社
鎮座地:群馬県太田市細谷町1番地
祭 神:宇迦之御魂大神 外
社格等:旧村社

無量山月照院養林寺 江戸時代初期の上野国大胡城主「牧野家」の菩提所(群馬県前橋市堀越町)5

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 群馬県前橋市の東部、旧大胡町にお寺はありました。

 最寄り駅は、上毛電気鉄道「大胡駅」になります。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車は数十台位は停められそうです。


 こちらのお寺の由緒は次の通りです(案内板による)。
「浄土宗 無量山月照院養林寺縁起
鎌倉時代大胡太郎実秀といえる武将あり。浄土宗の宗祖法然上人に帰依し此の地に草庵を建て念佛修業を怠らなかった。徳川家康公の御家来牧野康成侯は、天正十八年、二万石を以て大胡城主となる。大胡太郎実秀の念佛の旧蹟成るを聞き、養林寺を創建し、念佛修業の寺とした。百石を御朱印として寺へ寄進されたので、養林寺は上野三壇林の一つとして、名刹であった。
 度々の火災に罹い、堂塔はすべて焼失したが、山門は江戸時代初期の建築である。勢多郡下唯一ケ寺の浄土宗寺院で、称名念佛の法燈を継承している。」


 前橋市内からかなり外れているので、かなり長閑になります。
 周辺は大胡城跡になり、近くには大胡神社が鎮座していました。

 山門です。
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 寺号標になります。
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 参道を進みます。
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 手水舎になります。
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 鐘楼堂です。
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 本堂になります。
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 本尊の阿弥陀如来が祀られています。葵の御紋の幕が張られています。

 境内の左側にある墓地の入り口には、徳川家五代の供養塔がありました。
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 また、江戸時代初期に大胡城主を務め、後に越後長岡に移封された「牧野家」のお墓がありました。
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 前橋市教員委員会が作成した案内板によると次の通りです。
「前橋市指定史跡 牧野家墓地
 この墓地は、天正十八年(1590)から慶長九年(1604)まで、大胡城の主として大胡藩二万石を治めた牧野康成の墓ほか、同室(妻)、康成の父成定、子の忠成など七基の墓石が並ぶ江戸時代初期の大名墓である。
 牧野康成は、弘治元年(1555)、三河西尾の城主牧野成定の子として生まれ、徳川家康に仕え、酒井忠次に属して、『長篠の戦』など家康の主要な合戦の多くに参戦して、数々の武力を重ねた。
 康成は天正十八年(1590)の徳川家康の関東入府に伴って、江戸城の北辺の守りとして大胡城に入り、大胡城を近世の城として大改修をした。
 慶長五年(1600)の『関ケ原の戦』のおりに、中仙道を進む徳川秀忠の将として従軍した。
 慶長九年には病のため家督を長男の忠成に譲り、慶長十四年(1609)に五十五歳で没し、菩提寺として天正十八年に建立したここに浄土宗無量山月照院養林寺葬られた。
 康成の子、牧野忠成は、元和二年(1616)越後国頸城郡長峰に五万石で転封となり、同四年(1618)にはさらに一万石が加増され、長岡に転封となった。以後、牧野家は明治の初めまで長岡藩を治めた。
 大胡城は、牧野氏移封後、酒井氏前橋藩の所領となり、城番が置かれた。その後酒井氏が姫路に転封されるに際して廃城となった。
  群馬県教育委員会」

 御朱印は、境内の右側にある庫裡で頂きました。御朱印代は300円です。
 由緒書きは、頂きたい旨を伝えれば無料で頂けます。




寺院名:無量山 月照院 養林寺
所在地:群馬県前橋市堀越町1259番地
宗 派:浄土宗
本 尊:阿弥陀如来 呑龍上人
札所等:前橋四公御廟所六寺社めぐり
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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