神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

田島弥平旧宅(群馬県伊勢崎市境島村)5

 群馬県伊勢崎市にある「田島弥平旧宅」になります。
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 国指定史跡になっております。

 江戸時代後期から明治時代に生きた「田島弥平」の旧宅になります。
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 まだ、子孫の方がお住まいのようです。拝観するときは、お静かにお願いします。

 駐車場は、少し北にある利根川沿いにある無料駐車場が利用できます。

 少し南に行くと「道の駅おかべ」がありますので、休憩できます。
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 食事やお買い物もできます。道の駅スタンプもありました。

日枝社(世良田東照宮の境内社、群馬県太田市世良田町)5

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 群馬県太田市世良田町にある世良田東照宮に参拝してきました。
 太田市の南西部にある神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。徒歩では少々かかりそうです。

 駐車場は、門前にありました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「新田郡尾島町世良田町の旧郷社。徳川家康ほか十九柱を祀る。例祭は4月17日。
 寛永二十一年(1644)に天海僧正が徳川家光の命により、日光東照宮の古殿を始祖である義季の墳墓がある長楽寺境内に移築し創建した。
 拝殿は日本最古の東照宮建造物である。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県新田郡尾島町世良田。旧郷社。
 当地は江戸幕府の祖先・世良田徳川氏の発祥の地という。
 寛永二十一年(1644)三代将軍家光の命を受けた天海僧正が、徳川氏遠祖・義季の墳墓が存する当地長楽寺境内に日光東照宮の古殿を移し創建した。したがって歴代将軍の修復・寄進など重んずべきものがあった。
 本殿・拝殿・中門の建造物、社宝の太刀(銘了戒)、大鉄灯籠は重要文化財。
 例祭4月17日」


 新緑の季節になります。境内の木々の緑はとても綺麗でした。
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 参拝者は、境内を散策していらっしゃいました。
 社殿では祈祷が行われており、合図の太鼓が打ち鳴らされていました。

 大名籠がありました(´・ω・`)
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 顔は出しません(・ω・)


 境内社の「日枝社」にも参拝しました。
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 「日枝社」の由緒は、次の通りです。
「祭神 大山咋命
 寛永二十一年(1644)世良田東照宮建立の時、日光山より奉遷。間口二尺五寸、屋根は挧(とち)葺き。
 江戸時代は幕府により十数回の修理が行われた。昭和二年、修理。平成二十五年、東照宮三ツ葉葵会により修理。
 江戸期の祭典日は、毎年4月申の日。」


 境内社にあたる「日枝社」には、御札と御守りがありました。
 最近はいろいろ嫌なことが多いので「魔除神猿(まよけまさる)御守」を一体頂きました。初穂料は、800円になります。




神社名:世良田東照宮
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119‐1
主祭神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神
社格等:旧郷社

於菊稲荷神社 御朱印&幸福御守(群馬県高崎市新町)5

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 群馬県高崎市の東部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR高崎線「新町駅」になります。
徒歩では、10分位かかりそうです。

 駐車場は、参道にあります。自動車は、3台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「群馬県多野郡新町橋場町に古くより鎮座いたします稲荷神社は天正十年(1582)八月小田原城主北条氏政と厩橋城主滝川一益と神流川原に於いて、天下分け目の決戦を行いたる時、北条氏は、先祖以来の守護神稲荷の社頭に戦勝祈願をいたしました。その甲斐有りて大勝利を得た北条氏政は、御神徳の偉大さに感激し小祠を立派な社に再建して報賽の誠を捧げ当社の起源となりました。
 その後、時移り太平の徳川の御代となりて、新町宿にも幾多の妓楼が立ち並ぶようになりました。宝暦年間(1751〜)大黒屋の娼妓於菊は、新潟の貧農の娘であったが、美貌で気だてもよく、新町随一の売れ妓ともてはやされていた。
 稲荷神社に日参りする多くの娼妓達のなかでも、於菊は特に熱心なる信者でした。また子供好きで、境内で遊ぶ子供達にいつも、あめ菓子を買い与えたり一緒に遊んであげたりと子供達親達にとても慕われておりました。しかし、ふと風邪をこじらせた於菊は、ついに足腰たたぬ病となってしまいました。これをとても心配した子供達の親は日頃から於菊が信仰していた稲荷神社に小屋を建て看病を三年間続けました。彼女の信心、親達、子供達の願い遂に神に通じてか、ある夜半枕辺に稲荷の霊あらわれ不思議に病気も全快いたしました。人々は喜び合って神の恵みと感謝し、彼女は一生涯神明奉仕と世の人々の為に尽すことを決意し稲荷社の巫女となりました。
 巫女となった於菊は、日々の神明奉仕を続けるうちに神の霊移ってか神秘的な力を授かりました。彼女の言葉は、天候をはじめとして世上の事の予言また困っている人の手助けをしておりました。そして人々は、口々に『困った事は稲荷の於菊に聞けばよい』『於菊に聞いて稲荷に参ればよい』と言われておりました。於菊の稲荷、稲荷の於菊と誰言うとなく於菊稲荷神社と呼ばれる様になりました。
 その後、益々神社は弥栄えて文化文政から、嘉永初旬まで最も隆盛を極めました。遠くは江戸、横浜、長崎からも参拝する者多く、中には吉原の遊女、歌舞伎の名優、両国の力士、詩人、名僧等枚挙にいとまもありません。社に残る数々の文化財は昔時を語る宝物です。当社に心願をかける時は、何事によらず叶いて、開運、幸運に結びつくことでしょう。」


 桜井識子さんの本で紹介された神社になります。

 一の鳥居になります。
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 崇敬される方が多いようで、数々の朱色の鳥居が奉納されていました。
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 現在社殿は、建て替え中です。
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 仮社殿には御神輿が中にあり、御霊が遷されているいるようです。また、社務所も併設されていますので、御朱印や授与品も頂けます。

 狐塚になります。
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 丁重にお祀りされているようです。

 今回は、御朱印を頂きました。御朱印代は300円です。
 また、「幸福御守り」を一体頂きました。初穂料は500円です。
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 なお、御神札は一体500円になります。





神社名:於菊稲荷神社
鎮座地:群馬県高崎市新町247番地
祭 神:倉稲魂命 於菊
社格等:旧村社
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